すべてが手仕事、岡山の黄ニラは「綺麗」なんです。
「黄ニラは種を蒔いて収穫するまで2年かかります。通常の青ニラは数ヶ月。収穫量も黄ニラは青ニラの3分の1ほど。デリケートな野菜ですから、水洗いから箱詰めまですべて手作業です。非効率と言われることもありましたが、たくさんのファンの方から『玉柏・牟佐地区の黄ニラは、肉厚で綺麗』と褒めてもらえると作り手冥利に尽きます」と植田さん。もともとは兵庫県揖保郡太子町の出身、岡山へは婿養子として『嫁いできた』そうだ。「24歳までは鉄工関係の仕事をしていました。結婚して家内の実家の黄ニラ作りを手伝うことに…。鉄から土へ、です(笑)」。現在、玉柏・牟佐地区には33軒の黄ニラ農家がある。県産の9割は当地区で生産され、もちろん岡山県は日本一。 「今でこそですが、私がここへ来た頃は地元でも黄ニラはマイナーな存在でした。高級食材として出荷の9割が東京だったんです。これじゃダメだと2008年から『黄ニラ大使』を名乗るようにしました。もちろんすべて手弁当。大使は出身地の太子町にも引っ掛けています(笑)」。 老人ホームや学校、朝市などへ出掛け、黄ニラの美味しさ、魅力を伝え続けた植田さん。その奮闘もあり、現在では東京が約5割、地元岡山では3割が消費されるようになった。そんな植田さんが若手農家と一緒に新しく挑んでいるのがパクチー作り。「仲間と無農薬で取り組んでいます。香りが上品で食感がいいので、そのままサラダで頂けます」。旭川の清水、豊かな土壌、作り手の熱意。すべてが調和した岡山発の黄ニラ&パクチー。少年のように輝く瞳。理想の農業を求めて植田さんの挑戦は続く。
黄ニラ・パクチー農家 植田輝義
兵庫県揖保郡太子町出身。1974年12月16日生まれの38歳。岡山玉柏・牟佐地区の若手農家のリーダーとして黄ニラ、パクチーの栽培、新メニューの開発、飲食店などへのPRなど、幅広い活動を続けている。
無農薬で栽培されるパクチー。 7割は東京のアジア料理店へ出荷されている。