昨日できたから今日同じことができるとは限らない。 紙は気が抜けません。
「何をしたからとか、何ができたから一人前というのが紙の世界にはないんですよ。手を抜けば、すぐにもとに戻る。昨日までできていたことが今日はできないこともあります。死ぬまで気が抜けない仕事ですね」と笑う上田さん。 そもそも横野和紙のルーツである美作紙は、欽明天皇一六年(五五五年)七月、吉備五群に白猪屯倉(しらいのみやけ)が置かれた際、住民の戸籍・田籍を記述するために作られた紙が起源とされている。現在では、津山市上横野の三軒が「横野和紙」を受け継ぎ、上田さんは上田手漉和紙工場の六代目当主として、その伝統技術を継承している。 「原料の濃度、気温、湿度、漉き具合…条件は毎日違う。漉いているときも厚みは分かりません。注文通りの厚さにするには、やはり勘と経験が必要です」。 横野和紙は、金細工や仏具に使う金箔を一枚ずつ挟んで保存する箔合紙(はくあいし)としては最高のものとされ、京都や金沢の金箔工芸家から重用されている。最後に、上田さんには二人の息子がいる。長男の康正さんは箔合紙の紙漉きを、次男の隆広さんはベンガラ染めなどの新しい染紙を受け持っている。 ご多分に漏れず、和紙の世界でも後継者問題は切迫しているが、息子さんの仕事ぶりは? との問いに「しっかりやってくれています。仕事ぶりには満足しています」と満面の笑みで答えてくださった。やはり道を極めた職人の笑顔は最高だ。
横野和紙上田繁男
繁男さんは、2007年4月に津山市市重要無形文化財に承認された。下の写真は横野和紙の魅力を普段使いで愉しめるコレクション。ベンガラ染めのハガキや便せん、封筒など、どれも手触りと色合いがすばらしい。
横野和紙は昭和56年に岡山県の伝統工芸品に指定された。箔合紙や古文書修復に重用され、銅版画用にドイツへも輸出されている。写真左は、黙々と紙漉きを続ける長男の康正さん。同じ間合いでそのリズムは、決して乱れることはない。