「フラッグシップのセルシオはご遠慮して、その次のクラスを選びました。でも最上質の心地よさがとても気に入っています」と今日もマジェスタのハンドルを握る谷口さんは、全国に名を馳せた銘木「備中松」をはじめ瓦材、瓦工事までを手がける備中木材のオーナー。そして、クラウンの歴史とともに生きてきた…といっても過言ではない、初代からこのクルマひと筋という、全国でも数少ないすじがね入りのクラウンニストでいらっしゃいます。
「最初の出会いは昭和40年代はじめ。成羽町の公用車が病院に払い下げられ、それがピカピカのまま市場に出たという由緒正しい中古があり、乗りたくてたまらず、営業の方を口説き落として手に入れました」と谷口さん。
他に競争相手もあり接待攻勢などもかけたそう(笑)。こうしてフロントガラス二分割、方向指示器の飛び出すタイプの希少車がわがものになりました。
その後、時がたち次々と新型を購入されますが、この初代クラウンは愛着が深く、どうしても手放せません。
「実は昭和47年に豪雨禍がありまして、あたりが冠水で、可愛い初代も水没してしまいました。もう走るのは無理、でもそれでも廃棄できませんでね」と、空地を見つけてそのまま置いていたところ、ある日、福山で自動車博物館を開館しようと考えていた、とある青年が、偶然このクルマを目にし「なんとか再生して展示したい」と熱心にアプローチ。手放す気の無かった谷口さんも、その情熱に負けてついに譲与される事になったそうです。
「瀬戸大橋の渡り初めで、何台かのクラシックカーに混じって再デビューするかつての愛車をビデオで拝見しました。言葉にしようも無いのですが、尊敬していた故人が生き返ったような…そんな感動でした」と谷口さん。
現在もそのクルマは、福山自動車時計博物館に、日本を代表する黎明期の高級乗用車として展示されています。
「そんな事からのお付き合いですが、なにもクルマが良かっただけというわけではありません。岡山トヨタの代々の営業やサービスのみなさんのお人柄…これがあったからこそ今まで乗り続けているんです」と最後に谷口さん。このご信頼に応えるためにも、私たちは、さらに襟を正して誠実な仕事をこころがけねばなりません。
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