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クラウンの歴史は日本の高級車の移り変わりそのもの。
それぞれの時代を、それぞれのクラウンが見つめてきました。
そしてまた私たち岡山トヨタもクラウンの歴史といつも一緒。
21世紀になった今、あらためてその物語をふりかえってみましょう。

【初代】1955~
 今から半世紀近くも前の1955(昭和30)年1月1日、 純国産技術による日本初の本格的乗用車クラウンが誕生します。エンジンは、1500cc OHV 4気筒、48ps。梯子型フレームに、フロント・ダブルウィッシュボーン独立懸架サスペンションを採用し、ドアはあの印象的な「観音開き」。
 発売以来爆発的な人気を誇り、翌年にはなんと市場シェアは68.8%と、瞬く間に、その名の通り国産乗用車の王座につきました。
 高まる人気にこたえ、1958年秋にはマイナーチェンジ。60年のデラックス型1900シリーズ設定や、半自動AT「トヨタグライド」の装備など、ラインナップや機構を次々と充実させ、少量ながら米国向けに輸出も開始しています。
【2代目】1962~
 1962(昭和37)年9月21日、フルモデルチェンジして発表されたRS40は、ワイド&ローを全面に打ち出した斬新なスタイリング。初代とは大きくイメージを変更し、X型フレームにより全高は低く押さえられ、ホイールベースも拡大されました。
 4灯式ヘッドライトに3R型エンジン、デラックス型の後輪サスペンションにコイルバネを使ったトレーリング式を採用するなど、当時の先進機能を盛り込んだ意欲作。
 その後も、1963年秋のマイナーチェンジで3速マニュアルがフルシンクロ化、トヨタグライドも全自動オートマチックになるなど進化を続けます。
 翌64年春には日本初のV8エンジン(オールアルミ)を搭載した クラウン・エイトを発売。65年秋には4気筒R型のエンジンをM型直列6気筒に変更。販売累計は50万台を突破しました。
【3代目】1967~
 1967(昭和42)年9月に登場した3代目は「白いクラウン」というキャッチフレーズで一世を風靡しました。当時の開発担当者は「個人ユーザーが75%を占めるようになっていました。そこでパーソナル性を打ち出そうとボディーカラーも大胆な白を採用して、白いクラウン・キャンペーンを実施しました」と語ります。
 このPR戦略は、法人ユーザーから個人ユーザー需要への転機を促しました。技術的にもフロアをさらに低くするために国内初のペリメーターフレームを採用、米国安全基準に合わせ、ウインドデフロスター・デフォッガー、二段スピードワイパー、二系統油圧ブレーキシステム及び故障警告装置、エネルギー吸収式ハンドル、シートベルトなども装備しています。翌年には、角型ヘッドライトを採用した2ドア・ハードトップも初めて登場。1969年2月にはトヨタ自動車が、昭和10年5月に初めてA1乗用車をつくって以来、生産累計500万台を達成しましたが、その大きな原動力がクラウンシリーズの成功でした。
THE CROWN HISTORYはインターネットでもご覧になれます。
http://www.toyota.jp/Showroom/All_toyota_lineup/CrownMajesta/history/index.html

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