必要なのは根気と時間…出来上がるお菓子をイメージする。

 和菓子の成り立ちについては諸説あるが、その発展には室町時代に隆盛した茶の湯が大きな影響を与えたという。多種多彩な菓子のなかでも、木型を用いたものは落雁(干菓子の一種)が最初で元禄末期から江戸末期にかけて全盛期を迎え、数多の職人によって趣向を凝らした木型が多数作られた。
 田中武行、77歳。現在、中国・関西・九州地方でただ一人の菓子木型彫刻職人。多くの職人が消え去った今も独自の美意識と感性が宿る菓子木型を黙々と彫り続けている。 

「初めて菓子木型を見たのが18歳のとき。父が作ったものです。一目見て、『美しい』と思いました。これがお菓子になるんだと…不思議に思いました」と当時を思い返す田中さん。その後、19歳で父・伊佐美さんに弟子入り、ところが田中さんが24歳のときに伊佐美さんが他界する。「ちょうど高度経済成長期を迎え、大量生産・大量消費がもてはやされた頃。菓子木型の需要も減り、多くの職人が転職していきました」。家庭を持っていた田中さんも手先の器用さを生かして歯科技工士となる。一方で菓子木型の道も諦めきれず、二足のわらじを履くこと17年。48歳のとき、子どもの独立を機に再び菓子木型一本に絞る決断。「天職としての未練がありました」と笑う。木型を彫るコツは?との問いに…「彫りながらイメージする。一般の彫刻は浮き彫り、菓子木型は逆に彫り込んでいく沈み彫り。出来上がりを想像することが大切です」。厳しい職人の世界だが、幸いにも息子の一史さん(47歳)が跡を継ぐ決意をしてくれた。「物作りの仕事をしていたせいか、手先は器用です」。机を並べ、一史さんの仕事ぶりを見つめる田中さん。実に温かな眼差しだ。

 

菓子木型彫刻職人
田中武行

1935年岡山市生まれ。菓子木型彫刻「京屋」2代目。中国・関西・九州地方で唯一の菓子木型彫刻職人として、県内はもちろん県外にも多くの顧客を持つ。現在77歳、後を継ぐ一史さんへ技を伝える日々。
岡山市東区中川町552-7
TEL.086-943-0741

菓子木型の素材はマザクラが主体。硬木のサクラは、木質が均一できめ細かく、木に粘りがあるので彫りやすい。摩耗しにくく、水にも強いので菓子木型には最も適している。写真下は鯛の意匠。