ベルを通じて、湯郷の素晴らしさを
伝えて、たくさんの人に来てもらいたい。

梶谷 どうですか? なでしこフィーバーの時は大変だったでしょう?
種田 休みの日も電話番していました(笑)。でも、うれしい悲鳴です。うちの宮間や福元がW杯でがんばってくれたおかげで、湯郷の名前が日本をはじめ世界にアピールできたのではと思っています。地元の皆さんにひとつ恩返しができました。
梶谷 いい話ですね。W杯後もロンドン五輪予選の合宿地として美作が選ばれるなど、いいムードですよね。チーム結成以来、ずっとスポンサー集めに奔走して、苦労されていたのを知っているだけに、私もうれしいですね。
種田 うちのGMが乗るプリウスもベルの公用車として岡山トヨタグループのトヨタレンタリース岡山さんから無償提供していただいたもの…ありがとうございます! それまでは営業に行くのもずっと軽四でしたから…(笑)。それも、なでしこフィーバー前からのご好意ですから感謝しています。
梶谷 今年の二月に監督に就任されて約半年。心境に変化はありますか?
種田 今だから話せますけど…。最初は悩みましたね。本田前監督の存在があまりに大きすぎて…。選手との距離をどうすればいいのか。一人、悩んでいたら宮間や福元がこう言ってくれたんです。「そのままでいてほしい」と…。本人たちは何気なく発した言葉だったのでしょうが、私はずいぶん気持ちが楽になりました。その時から「ありのままの自分で、選手とお互い持ちつ持たれつやってみよう」と気持ちが固まりました。
梶谷 現在(9月10日)、湯郷ベルは、なでしこリーグ三位。種田監督の方針は間違っていなかったようですね。ベルが勝つことが地元にパワーを生み出している気がします。美作に来られて四年、町の印象はどうですか?
種田 もともと東京(読売ベレーザ等に所属)にいて、その後、長野の菅平で10年過ごしました(大原学園JaSRA女子SCで選手、その後監督)。菅平は、のどかな観光地ですから湯郷に来たときもカルチャーショックはなかったです(笑)。それよりも驚いたのが…スタンドに年配のファンの姿が多いこと。なかには三世代で観戦に来られているご家族もいて、ベルの存在の大きさを実感しました。そうしたアットホームな雰囲気は、元鹿島アントラーズの本田泰人さんも「誕生した当時のアントラーズに似ている!」と言われていましたね。
梶谷 そうですか。今ではビッグチームになったところも最初はそういうところからスタートしているんですね。私も何度か観戦に来て思うのが「ベルの選手と地元の人の距離が近い」という点。地元企業で働きながらサッカーに取り組んでいる選手が多いことも影響しているんでしょうね。
種田 W杯の後のインタビューで宮間が「早く湯郷に帰りたい、温泉に入りたい」と言っていましたが(笑)、千葉出身の彼女も10年、湯郷で暮らしてみての本心だと思います。「湯郷の素晴らしさをもっとたくさんの人に伝えて、実際に来てほしい」というのが私や選手たちの気持ちですね。
梶谷 今年からホームゲームの有料化にも取り組まれているそうですが…。
種田 プロ化への第一歩です。まだまだ、いろいろな課題を抱えてはいますが、地道に積み上げていけたらと思っています。
梶谷 9月23日からは、なでしこリーグも再開ですね。私も今度こそは応援と温泉をセットで湯郷へ伺います(笑)。
種田 日本にもやっとサッカー文化が根付いてきた気がします。これからもベストを尽くしますので、応援よろしくお願いします!