車いす陸上競技で北京、ロンドン、リオ…
3大会連続出場を成し遂げた松永仁志選手と交わしたスポーツへの熱い思い。
梶谷「まずはリオパラリンピック、お疲れ様でした。北京、ロンドンに続き、3大会連続となる出場でしたが手応えはいかがでしたか」。
松永「正直、厳しいレースでしたね。予選敗退という結果にゴール後は無力感さえ感じました。北京、ロンドン、リオと自分なりに力は伸ばしてきましたが、それ以上に若い選手の登場もあって世界のレベルが高くなっていました」。
梶谷「今回、松永さんは選手としてだけでなく、日本の陸上競技チーム(全員で36名)の主将としても参加されました。チームのまとめ役として若手からベテランまで、いろいろ気を使われたと思いますが…」。
松永「おかげさまで、同じチーム(ワールドアスリートクラブ)に所属する佐藤友祈選手が男子400m(T52)と1,500m(T51/52)で銀メダルを獲得することができました。これは金に匹敵する銀。一緒に練習してきただけにうれしかったですね」。
梶谷「『ワールドアスリートクラブ』は岡山市で発足したチームとお聞きしました」。
松永「はい、2016年3月に発足した車いす陸上の実業団チームです。障がい者スポーツの実業団は全国的に見てもほとんど例がありませんが、今は選手兼監督として私含む3人の選手で活動しています」。
梶谷「正直、私もロンドンパラリンピックの壮行会で松永さんにお会いしたのがきっかけで地域の障がい者スポーツの現状を知ることができました。松永さんをはじめアスリートが頑張っている姿を見ると自分も頑張れる。やはりスポーツは分かりやすくていいですね」。
松永「先日、東京・代々木周辺で開催された『スポーツ・オブ・ハート2016』というイベントに参加してきました。『障がい者も健常者も一緒に楽しめるスポーツと文化の祭典』という主旨で、私はノーマライゼーション駅伝に出場しました。渋谷の公道に設定された7区間を車いすランナー、芸能人、小学生、自由枠、一般ランナー、盲人ランナー、アスリートという様々なランナーでタスキをつなぎました。沿道からの声援も多く、気持ち良く走ることができました。素晴らしい大会でしたね」。
梶谷「地域として障がい者も健常者も一緒に支え合い、スポーツを楽しむことが大切なんでしょうね。そこに住んでいる人の意識が変われば地域も変わる。そのためにももっと知ることが大事だと私は思います」。
松永「共に助け合っていく、活かし合っていく社会の可能性を感じました。そういった意味でも選手は自分のためだけでは頑張れないんです。自分を応援してくれる周りの人々の期待が、苦しい時の最後のひと押しになっているような気がします。だから例え障がいがあっても身体が動く限りは、プロとしての覚悟を持って、世界のトップと競いたい、その舞台に立ちたいと思っています」。
梶谷「松永さんの姿を見ていると人間には無限の可能性があるということをあらためて実感します。これからもその可能性を信じてチャレンジしてください。私も応援します。
本日はお忙しい中、ありがとうございます」。
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