豊かであるが贅沢ではない。失われた伝統が今に甦る。

「最初の10年は、いつでも辞めてやる。それくらいの気持ちでやっていました」と話すのは、倉敷緞通の担い手・瀧山雄一さん。一度は絶えた倉敷緞通を自ら復活させ、現在、倉敷市早高の工房で機を織る唯一の職人だ。もともと倉敷緞通は倉敷市で花ござ製造に従事し、発明家でもあった矢吹寛一郎氏が考案した「金波織」に由来する。その後、倉敷を訪れた民藝の大家・柳宗悦が気に入り、「倉敷緞通」と命名。芹沢けい介が縞柄などの図案を考案した。ところが時代の波と共に一九八六年に生産が中止。そのまま伝統技術は途絶えてしまうかと思われた。 「高校を出て、水道屋や弁当屋など、いろんなアルバイトをしていました。そのうち職人としてモノを作る仕事に就きたいと思って・・・岡山じゃ何があるんだろうと探していたら倉敷緞通を知ったんです。最初は『イ草の入った絨毯か』くらいの認識でした(笑)」。
  その後、協力者を得て創作活動へ。ただ道のりは厳しかった。「ゼロからスタートして、ほとんど試行錯誤、独学で覚えました。糸は切れる、昨日と今日で仕上がりが違う。図書館に行って手織りの基本を調べたり…(笑)。やっとやっていけるかと思ったのが始めて5年目、28の時ですね」。その頃開いた展示会で、瀧山さんの作品は大変売れた。ただ「昔の方が良かった」との率直な声も耳にする。
 「確かに5年目あたりは、後で思うと納得できない作品も多かったですね。だから機も新調して思うように織れるようになった30代からは、いいものを作って買ってくれた方々に恩返ししよう。そう思って織り続けました。おかげであっという間に時が経ちましたね」。瀧山さんは現在、47歳。あくまで自然体。「高く売るために絹を使えと言われたこともあります。でもイ草はレーヨンと相性がいいんです」。
瀧山さんのまっすぐな視線にブレはない。

 

倉敷緞通
瀧山雄一

倉敷緞通といえばやはり縞柄。和洋問わずしっくりと溶けこむモダンな色柄。
イ草とレーヨンが織り成す無垢なる味わいは使うほどに愛着が増してくる。まさに豊かな逸品だ。

倉敷緞通・瀧山雄一
倉敷市早高490-7
TEL.086-482-3478