「始めの頃は、染めの釜焚きの火加減さえ分からなくて…。このくらいかな、このくらいかなって自問自答しながら、ほんと試行錯誤の毎日でしたね」と語る烏城紬の伝承者・須本雅子さん。
 そもそも烏城紬は、約二百年前に児島湾一帯で発達した綿つむぎの袴(はかま)地織りがルーツ。大正元年に須本さんの祖父・三宅小三郎氏が、綿を絹に代え、緯糸(よこいと)に「からみ」とよばれる独自の技法を加え、現在の形の烏城紬が誕生した。その後、戦火で工場が焼かれ、須本さんが八歳の時、小三郎氏が他界。戦後の混乱期を過ぎ、父親の務氏が六畳一間で機を織り、母親が糸を紡いだ。
 「私は結婚して神戸で暮らしていました。子育ての合間に糸だけは紡いで二反分できたら、父が神戸まで取りに来てくれました。私の紡ぐ糸が、誰の糸よりもいいと喜んでくれて…この時ばかりは、母がヤキモチをやきました」。その後、ご主人とともに岡山に帰り、本格的に烏城紬に取り組んだ須本さん。現在は、ご主人の日出夫さんと娘の順子さんの協力を得ながら制作に励んでいる。「岡山に帰ろうって相談したとき主人は、そんなバカなこと!って様子でしたが、最後は、一番になって支えてくれました。きっと魔が差したんでしょうね(笑)」。緻密で根気のいるモノづくりの世界に生きる須本さん。控えめで温かなお人柄がその烏城紬の風合いに現れている。

 
烏城紬四代目織元
須本雅子
“息抜きは?”という愚問に“ひとつの作品が織り上がってその出来が良かったときに、すべての苦労が消えてしまいます。360日くらい仕事していますね。お正月も工房にいるんですよ”とのお言葉。匠の技を引き継ぐ娘の順子さんへの思いも“せっかくここまでやったのだから続けてくれたらうれしい”とのこと。

女優の壇ふみさんを始め、全国の着物・紬ファンが慕う須本さんの烏城紬。すべてが手仕事のため年間八反が限度。最近は巾着やテーブルクロスなど、雑貨も人気(岡山シンフォニービル1階:岡山県観光物産センターで販売)。